我孫子市議会 2022-09-05 09月05日-02号
久寺家・手賀沼線の完成、水害対策大幅な前進、あびこんの黒字化の定着、土谷津道路の整備、人脈と交渉力で我孫子駅バリアフリー工事、品川直通をはじめ成田線の利便化の推進、医師という立場も幸いし、無難にコロナ禍を切り抜け、臨時交付金は教育をはじめ有効に活用し、他市に先駆けて給食の第3子無償化、震災イチョウの岡田博士顕彰など、教育文化への向上に努めたなど、市民に向き合った市政運営に邁進し、多選批判を乗り越えて
久寺家・手賀沼線の完成、水害対策大幅な前進、あびこんの黒字化の定着、土谷津道路の整備、人脈と交渉力で我孫子駅バリアフリー工事、品川直通をはじめ成田線の利便化の推進、医師という立場も幸いし、無難にコロナ禍を切り抜け、臨時交付金は教育をはじめ有効に活用し、他市に先駆けて給食の第3子無償化、震災イチョウの岡田博士顕彰など、教育文化への向上に努めたなど、市民に向き合った市政運営に邁進し、多選批判を乗り越えて
7月15日には、布佐小学校、布佐南小学校の5年生に震災イチョウの挿し木を渡し、学芸員から岡田博士の業績と人となりを伝える特別授業を行いました。子どもたちに水やりなど挿し木の世話をしてもらい、数年後には布佐地区の小中学校や公共施設などで植樹を行い、大震災の記録の承継と岡田博士の顕彰につなげてまいります。 以上で、市政一般報告を終わります。
岡田博士と言います。布佐の人はみんな岡田博士ですね。その岡田博士がやったこと。面白いことをずっとためてました。それは、関東大震災のときに、昔の一ツ橋のところにあったオオイチョウが震災に遭ったけれども生き残ったという話であります。これは、震災後の区画整理で木を切り倒そうとしたけれども、時の岡田博士が清野さんという長官に掛け合って、これは切っちゃ駄目ですよと。
〔説明員森晋野君登壇〕 ◎説明員(森晋野君) 気象台記念公園の沿革や岡田博士の功績を顕彰する表示板については、訪れた方々へさらなる愛着を持っていただけるよう、設置に向けて検討していきます。 利用者の皆様から、公園でのペットの散歩マナーに関する御意見はたくさんいただいているところです。マナーの啓発や注意看板を設置する際には、人々の注意を引く場所を選択し、工夫しながら設置をしていきます。
そして3番目は、岡田博士記念館と防災備蓄倉庫など、既に計画にのっております。それを合築したらどうか。そうすると、公園法などもクリアしやすいのではないかと思います。この土地は、150年の歴史をたどれば、おはやしといいまして、かつては御料林でありました。そして今の公園の2倍以上の広さがあったと言われております。
岡田博士は気象学者として著名で、文化勲章受賞者でもあります。それに合わせた工夫もあるかと思います。 質問の1点目は、岡田武松邸跡地に建設することから、どのような工夫をされたか、お聞かせ願います。 2点目は、建物内に岡田武松博士を顕彰する岡田武松コーナーを設置されると聞いていますが、このコーナーの具体的な内容があれば、お示しを願いたいと思います。
また、旧岡田武松邸跡地の利用については、平成10年度に土地利用方針案を策定し、緑地空間として整備するとともに、岡田博士の功績、地元への貢献を顕彰するための記念碑等を設置する案を、地元住民の皆さんや議会に提案しました。その後、気象庁から気象送信所の廃止が伝えられた中で、岡田博士の顕彰は気象送信所跡地で行うべきとの意見もあり、結論には至っていない状況です。
今さら私が申し上げるまでもありませんけれども、岡田武松博士は--私たちは子供のころ岡田博士、岡田博士と言っておりましたが、岡田武松博士は、明治7年、布佐村に生まれ、布佐で当時の初等小学校を経て東京の中学校に進まれ、最終的にはいわゆる今の東大を卒業されたわけであります。ということは、お父さん、お母さんも布佐の人でありますから、生粋の布佐人であります。
岡田博士の思いを受け継ぎながら、太陽の恩恵や雨水の潤い、自然の息づかいとも言われる風力などを活用した自然エネルギーや雨水リサイクルシステムを駆使し、自然循環型未来都市計画を緑の大自然の中に実現してはいかがでしょうか。当面、防災公園としての位置づけをすると聞いておりますので、災害対応時にはライフラインを独立させることで災害時の電気や水の提供をすることもできるでしょう。 質問の1点目。
地元からは、岡田博士と親交の深かった柳田国男の顕彰もあわせて行うことなどの提案がありました。 これを受けて地権者とも協議を行い、基本的な了解を得ましたので、今議会で所管の総務企画常任委員会に協議をお願いしています。 次は、我孫子西地域温水プールの整備です。
岡田博士は、気象学者としての功績は言うまでもありませんが、我孫子に生まれ、我孫子を愛し、気象送信所や気象測器工場を誘致するなど、郷土の振興に貢献されました。また、子供を愛し、邸内に児童文庫をつくって蔵書を開放し、子供たちに本を読む楽しさを教えるなど、地域教育にも大きな貢献をされています。
岡田武松博士、布佐では岡田博士、岡田博士と言っておりました。この人は、昭和24年に文化勲章をもらいました。そのとき私は高校生だかそのぐらいですね、成田線で通うのに岡田武松さんと電車の中で一緒になりました。つり皮につかまって一緒に通ったのも覚えております。そして、もう少し小さいときには、岡田さんの家で岡田文庫という、小さな家ですけれども、そこで戦争中の困った時代に本を見せてくれた。
今後は、土地条件や法規制上の課題、岡田博士の顕彰方法等について、地元住民や学識経験者から意見を聞きながら、市民参加による土地利用方針を策定していきます。 次は、中心拠点整備構想についてです。 平成8年度の「中心拠点土地利用策定懇談会」からの提言を受け、「中心拠点整備構想(素案)」をまとめました。さらに議員の皆様の意見を参考にしながら、「中心拠点整備構想(案)」をまとめていきます。